恋愛小説

勇者と魔女の物語~短編恋愛小説


時刻を知らせる鐘が鳴る。
規則正しく、残酷に時を知らせる音だ。

鐘が一度、鳴った瞬間走り出した。

呼吸が乱れる。冷や汗が出て、膝から崩れ落ちそうになる。

―――二度目の鐘が鳴る。焦りのあまり、転んだ。

上手く転べなかったせいで膝をすりむき、地面に転がった。

「……っ、あ……」

痛くて、辛くて、泣きそうになる。それでも起き上がった。
まだ、まだ大丈夫。きっと間に合う。

スポンサーリンク




「ありす………」
弱々しい声で、名前を呼んだ。

ゆっくりと立ち上がり、今度は走らず前に進む。
擦りむいた膝は痛くて、たぶん血も出ているだろう。

三度目の鐘が鳴った。

そこでようやく、教会の前に到着した。

金髪の髪が、人の群れの中で揺れている。

「ありす…っ」
声の限りを尽くして、彼女を呼んだ。

「―――どうして、来たの」

しかし返ってきたのは、魔女のように凍てついた、絶対零度の冷え切った声だった。
幼さに見合わない、年不相応な、聞く者の心を切り裂いてしまいそうなほど、鋭い言葉だった。

「アリス、僕は……」

「話しかけないで。私は魔女よ。不幸を呼ぶ魔女」
自嘲気味に、アリスが零す。

「そんなこと…」
ないよ、という言葉は続けられなかった。

「私はここにいるべきじゃないの。ここじゃないどこかへ行かなくちゃいけない」

「アリス…」

「私がいると皆不幸になる。アンタもそう。だから、お別れよ」

行かないでと、言えたらよかった。でも言葉に詰まって、なにも言えない。

「ねえ。この子の両親。ここにいるんでしょ」

アリスが、まるで僕のことを知らないみたいに振舞いだした。突然の出来事に、戸惑う。

「ねえ、ちょっと……待って」

「早くこの子を私の前から連れて行かないと、ひどい厄が及ぶわよ。―――いいの?」

群衆の中から、小さく悲鳴が上がる。

人の波が急速に引いて、後ろのほうから父親が姿を現した。

「と、お父さま!アリスをどこに連れて行くの!?嫌だよ、アリスは魔女なんかじゃない!」
お父さまならわかってくれる、と声を大にして言った。

だってつい昨日まで、アリスと一緒に笑っていたんだ。
アリスが本当の娘だったらなあ、と言っていたことだってあった。

「静かにしなさい、お前は家に戻っているんだ」

「どうして!?どうして村の皆もお父さまも、急に態度を変えたりして…っ、絶対こんなの変だ!!」

「いいから黙れ。お前が騒げば騒ぐほど、あの子もつらいんだぞ」

「……っ!」

後半、小声で囁かれた言葉に、全身がこわばった。

「なにもあの子だって、死ぬわけじゃない。村からちょっと離れた場所に避難するだけだ」

「でも、」

「今は聞き分けてくれ。わかるな?」

「……………は、ぃ…」

有無を言わさずといった頑なな態度に、ついに折れるしかなかった。

「ね、アリス。僕ら、きっとまた、会えるよね?」

「………」

アリスの返事はない。
まるで僕などもういないかのように、背を向けてしまった。

「……いつか、いつか絶対会いに行く」

聞こえていればいいなとそれだけ思った。

小さな小さな声だ。届くわけもない。
隣で手を引く父さまですら、聞き取れないくらい小声だったのだ。

しかし、次の瞬間アリスが顔だけをこちらに向けた。
視線が重なる。

その口が小さく動く。

『まってる』
彼女の声は聞こえない。でも確かに、そう言っていたような気がした。

スポンサーリンク




世の中はどうして、こうも理不尽極まりないのだろう。
今年で成人を迎え、いよいよ大人の仲間入りを果たした少年は、幼さの残る顔に憂い顔を浮かべてため息を吐いた。

何もかもが気に食わない。生まれは決して問題なく、剣才に恵まれし『勇者』の家系に生まれ、相応しくあれと育てられてきた。

それについても不満はない。

期待に応えるべく、剣技だけでないありとあらゆる武術に触れ、鍛錬を重ねてきた。
けれど、その努力に見合う才能も、実力も、何一つも手に入らなかったのだ。

僕の不満はそこにある。僕の父、先代の勇者は歴代随一の実力者だった。

―――そう、だった。
父は英雄だった。最後の日まで、あの人は英雄であった。

本来、努力の果てにできるのは、父のような皆に望まれる英雄たりえる人のはずだ。
どう転んでも、僕のような平々凡々の愚物であるわけがない。

才能が人並み、といえば聞こえはいいが、実際僕の能力値は、勇者どころか一般人のそれに遠く及ばない。
つまりは才能がないのだ、僕には。

同世代の準勇者たちにも遠く及ばないとなっては、もはや一族の恥さらしだ。

才能がないならないで、どこか遠くへ養子にでもやってくれたほうが僕としてはありがたかった。
なんなら今からでも遅くはないけれど。

まあ家柄はともかくとして名ばかりの当代勇者の後見人になってくれる家などあるわけない。

だから結論は簡単に出せてしまう。
一族が僕を手放してくれないというのなら、僕のほうからいなくればいいのだ。

仮に僕がいなくなったとして、困る人間はいない。もともといつ戦いに駆り出されて死ぬかもしれない命なのだ。
それに僕がいなくても、双子の弟のエドワードが勇者の座につくはずだ。才能がない僕なんかより、よっぽどお似合いだ。

お母様あたりは悲しんでくれるだろうが、それも時間が解決させてくれる。なにも死ぬわけではないのだから、落ち着いたら連絡すればいい。
なにより少し困ってくれればいいのだ。

「…よいしょ、っと」

屋敷から真正面に外に出ては疑われるだろう。この場所を使うのはもう何年も前の話だ。

『リーオ、リーオ早くっ』

『まってよぉ…アリス!』

たった一か所、誰にもばれずに直接森へ抜けられる裏道。
幼少期、幼馴染とよくここから抜け出して遊びに行ったものだ。

「懐かしいなぁ」
急に感慨深くなって、思い出に浸りたくなる。

聞こえるはずのない幼馴染の女の子の声が、聞こえたような気がした。

スポンサーリンク




5年ほど前、僕にはアリスという名の幼馴染の女の子がいた。
年は僕の二つ上。金髪に、紅の瞳が特徴的な人だった。

村の中でも垢ぬけた感じはあって、僕にとってはあこがれのお姉さん、という存在。

頭がよくて、村の中で唯一、魔法に対する適正があった。

将来は魔術師になるのだと誰もが疑わず、僕もアリスも勿論そう思っていた。

周りの連中はアリスを天才だ神童だと持て囃し、神かのように祭り上げた。
その結果はあまりいいものでなく、魔女を嫌う国王の命により、彼女は永久追放の処分を受けた。

僕は何もできず、ただアリスがどこかへ連れて行かれる様を見ていた。

いまだに村に戻れないところを見るに、きっと遠く離れた場所に行ってしまったに違いない。

会いに行くなどと誓っておいて、もう5年の月日が流れてしまった。
幼かった僕は今年で成人してしまった。

あんな口約束、果たして彼女は覚えてくれているのだろうか。

不安に駆られる。

けれどだからといって、動かない理由にはならない。

一体どこを目指せばいいのだろう。









村からどこかへでかけるとき、必ず森を通らなければならない。
夜道は危なく、行き来ができるのは成人を迎えた大人だけ。

子供が無断で足を踏み入れれば、罰を受けることになる。
しかし、幼い頃屋敷を抜け出してはこの森に遊びに来ていた。

優等生のアリスがいたし、大人も許してくれていたのだ。

「……案外近いな」
ため息をこぼして、空を見上げた。

アリスと最後に来たときは、確か3時間くらいかかったっけ。
けれど今は1時間ほどで森の最深部に辿り着くことができた。

自分がもう子供ではないのだと改めて認識して、少し寂しくなる。

同時に、大人ならば自分の役割は果たさないといけないのではないだろうか、などと考えてしまう。









「え、戦争……ですか?」
いつか来ると思っていた男の言葉に、ついにその時が来たのだと悟った。

15歳の成人の儀を終えた夜のことだ。まるでそれを待ちわびていたかのように、後見人の男が声をかけてきた。

これで勇者様もお役目を果たすことができますね、と。

「えぇ。子供は戦争には行かせられませんからねぇ。近々、亜人族の連中と一戦やるつもりなんです」

男は、僕の後見人ではない。双子の弟のエドワードの後見人だ。
だからだろうか。男は僕に会うたびに、戦争の話を持ち出す。

まるで僕の死を願っているかのようだ。

「ぜひエリオット様のお力添えをいただけたらと」

―――亜人族。人間と長年にわたって敵対している種族で、人間側が劣勢。
ようはパワーバランスの問題なのだろう。

先代の勇者が死去して以来、勇者の称号を継ぐにふさわしいものは現れなかった。
勇者の助力があってこそ、戦争は人間側が優位を保てていた。

「お父様のエイジ様の初陣も、エリオット様と同じ15歳の時の話ですよ。
一族を代表して、ぜひともお願いします」

そんなことを言われたら、断れるわけもなかった。この手の話は、既に僕の後見人やに話が行っているはずだ。

もし反対の意見があれば、この男だってこんな暴挙には出ないはず。
つまり、話し合いの余地なく、僕の出兵は決定だということになる。

最初に思ったのが、死にたくない、ということだった。
才能がない僕なんかが行ったところで死にに行くようなものだ。

…そのときだろう。家を出る決意をしたのは。

スポンサーリンク




けもの道を抜け、昔一度だけ訪れたことのある場所にようやくたどり着いた。

数年前から村のなかでまことしやかに囁かれる一つのうわさ。

森の奥に住んでいる金髪の魔女。
年は10代後半。ちょうど成長したアリスと同じ年くらいの女の子だという。

もしうわさが本当なら。
アリスがここにいるかもしれない。いや、いてくれることを願っているのだろう。

もう一度会いたい。そして約束を果たしたい。

森の奥には、家が一軒建っていた。

昔から家はあるにはあったが、あの時に見たのは古ぼけて今にも倒壊しそうな廃屋だった。
3人で探検していた記憶もあるから、建て替えたのだろう。

やっぱりここにいる気がする。疑惑は確信に変わって、家に一歩近づいた。

なんの変哲もない一軒家。明かりがついていて、人が住んでいる雰囲気はある。

しかしこんなところに一体だれが住んでいるというのか。

なにもないような場所だ。加えて人里離れた森の奥。
やっぱり、魔女なんだろうか。

「リーオ、もう戻ってきたの?」
ふと、少女の声が聞こえてきた。

どこかで聞いた声に、全身がこわばるのを感じた。懐かしい声だ。

「あ、りす……?」

呼ばれた名前は、僕の愛称だ。
この呼称を使うのは、もう今ではアリスだけだ。

「アリス、もしかしてアリスか!?」
慌てて僕は顔を出した。

すると、一瞬の静寂の後にアリスが僕を呼んだ。

「……エリオット、なの?」
困惑しているような声だった。そりゃあそうだ。

「どうしてあなたがこの場所にいるのよ?」
凛とした、芯の強い声。僕が好きだった声だ。

いつもエドとは喧嘩ばかりしていた、あの頃のアリスがすぐそばにいる。
少し突き放すようなそっけない態度でさえも、今はうれしかった。

「それはこっちのセリフだよ、ねえ。顔を見せて、話をしよう」

5年分の話だ。話したいことも、聞きたいことも、たくさんあった。

なのにある日突然、その未来は絶たれた。理不尽な運命が、僕とアリスを引き裂いた。

遠い遠い場所に連れていかれてしまった彼女。もう二度と会えないかと思っていたのに。

「私はそんなにないわよ」

たくさん、本当にたくさんあるんだ。

「本当に?」

尋ねた声は少し震える。もしアリスが本当に話したいことがなかったらどうしよう。
得も言われぬ不安に駆られて、つい言葉尻が弱まった。

「本当よ。そういうの全部、あの日までに終わらせたはずでしょう?」

つれない態度。だけどこれはアリスなりの不器用な気遣いなのだと、僕は知っている。
どうしようもなく不器用なこの子は、こうやる方法でしか守れなかったのだ。

伝わってくる声音から、アリスが強がっているのがありありと分かった。
だてに人生の半分以上幼馴染をやっていない。

「そんなの嘘だろ。アリスは昔から、嘘つくのだけはへたくそだった」

遠い昔に思いを馳せる。
アリスは頭がいいくせして、ずる賢い嘘を吐くのは苦手だった。
元々の性格もあっただろう。

「―――本当よ。私は今の生き方に後悔なんてしない。するつもりもないの。
だからエリオット、帰って。もう二度と、ここには来ないで」

スポンサーリンク




冷たい態度は、僕を守るための嘘だ。
あの時もそうやって僕を突き放した。

その結果がこれだ。
だからもう引けない。

「アリス」

「な、なによ…!」

声音から、彼女が強がっているのが手に取るようにわかった。

大人になった今でも、どこか幼さの残る仕草に、自然と唇を噛み締めた。

年は大して変わらないくせに、大人ぶって、姉のようにあろうとする姿勢も気に入らない。
もう僕はあの頃とは違う。非力な子供じゃない。

「そんなの、嘘だ。―――アリス、君」

一瞬、言葉にするのを躊躇った。けれどこれは必要な言葉だ。

「一人は嫌なんでしょ?だからこの森に住んでた」

「……ち、違うわよ」

あの頃追いかけていた彼女は、周りのどんな大人より賢く、聡明だった。

聡明であったがゆえか、嘘をついたりごまかしたりするのが苦手だったのをよく覚えている。

「アンタなんかに、わかるわけない!なにをそんな風に知ったかぶってっ」
震える拳を握って、アリスが叫んだ。

いつもそうだ。強がったり、寂しかったり、嘘をついているとき、アリスは拳を握る。
寄る辺はそこだけだと言わんばかり。勝気な彼女らしい癖だ。

「だからずっと、人目を避けてここにいた。幸い森には魔女のうわさがあったから、みんな近寄りもしなかったしね」

遠かった。確かに遠かった。
アリスを探して、父や親族のお供に各国、さまざまな村を巡った。

けれどその世界のどこにも、アリスはいなかった。

「見つけて欲しかったんだ、君は。誰かに―――ううん、僕に」

「違うっ!さっき言ったのは、全部本当のことよ。馬鹿なの?私はアンタなんかより、ずっと頭がいいの」

アリスが意味深に微笑んで、続ける。

「私はあのとき、どうしようもできなかった。仕方なかったの、あの大人たちは私を遠くには連れて行かなかったの。
この森に捨てられた、だからどこにも行けなかった。村に戻ることも、どこかへ行くことも」

強気な態度。でもその態度の端々から、アリスの主張の穴が見える。

あぁ、これは僕の勝手な希望なんだろう。

僕以外の人間にはきっと理解できないだろうけど、僕は彼女の言いたいことがわかる。
アリスだってわかっているはずだ。

だってだてに何年もお互いに幼馴染をやっていたわけじゃない。

「アリス、村へ帰ろう?僕と暮らそう」

「は?」

あれからもう何年も経った。アリスを追い出した国王は戦火の炎に呑まれ、王族は滅びた。

「そんなこと、許されるわけ…」

「許されるよ。もうそんな文句を言う人間はこの国にいないんだ」

「…嘘……」

困惑したように、アリスが俯いた。ゆらりと、瞳が移ろい揺らぐ。

「信じられない。王族は?」

「全員戦争で死んでしまったよ。もう何年も前の話。知らなかったよね、きっと」

「でも、」

アリスが渋るのも当然の話だ。
村から連行されたとき、村人も僕も、誰もかれもがアリスを見捨てた。誰も助けようとしなかった。

怖かったのだ。罰されるのが。

だからアリスが信用できないのも仕方がないことなのだ。

「そう、なの。でも、例えば私が村に戻ったとして」

「何か問題が?」

「あるわよ。大アリでしょ」

ため息とともに、アリスは顔を上げる。

「みんなはきっと、私の帰りを喜んでくれるかもしれないけど、それは一体いつまで続くの?
またあのときみたいにならないって断言できる?できないわよね」

「……ッ、それ、は―――」

言い返そうとして、言葉に詰まった。反論できない。

突然の出来事だった。ある日突然、昨日まで仲の良かった人たち全員が手のひらを返し、アリスを避けた。

言葉にすればそれだけのことだが、10歳だった少女にとってこの出来事が心に傷を残さないわけがない。

天国が一転して地獄へと早変わりというわけだ。

どうしたら、アリスを説得できるのだろう。安心させてあげられるのだろう。

怖いはずだ。僕があのとき、周りの人間全員を敵だと思ったように、アリスも同じ気持ちだったに違いない。

畜生。なにがアリスのことを一番にわかっている、だ。
わかったふりして、僕は何もわかっていなかったんだ。

「明日?明後日?それとも一年後?私はいつまでおびえていたらいいの?
答えてよ、リーオ」

「……」

「私はそんな風に怯えて生きていきたくない。だからここで暮らすわ。それがお互いのため。
村の人間であるアンタと話すことなんて何もないの。―――帰って」

拒絶の言葉を一つ残してアリスが歩き出す。足早に家の中に入っていく。

「アリス、僕は」

ばたん、と力強く閉じられた扉を前に、為すすべなく僕は立ち尽くした。

スポンサーリンク




(アリス)
驚いた、というのが正直な感想だった。

もう会えないと思っていた。あの日無残に引き裂かれた私たちはそういう運命のもとに生まれたのだと、諦める他なかった。

あがけばよかったのか、泣いて叫んで嫌だと喚いて、村中の人間を困らせればよかったのかと何度か思った。

けれどどうしてもあのとき、どこか冷静でいた自分がそうできなかったのはあの子がいたからだ。
エリオット。かつてアリスが恋に落ち、たった一人愛した人間だ。

幼き頃のあの感情に名前をつけるのなら、あれは確かに恋だった。

そう思う。まだたった10にも満たない幼子だった自分に恋が語れるものかと、大人は馬鹿にするだろうがそう呼ぶにふさわしいものだった。

だから私は、彼の届かない場所に消えてしまうわけにはいかなかったのだ。

大変だった。魔女として処刑される予定だった自分がこの場所に留まるのは。

それもこれも全部エリオットのせいだ。

彼が会いに来ると誓ってくれたから、彼のために生きようと思えた。

世界中の人間全員に嫌われたってきっとへっちゃらだ。彼がいれば、それでいいのだ。

アリスは扉に背を向けて、崩れるようにしゃがみこんだ。
自然と笑みがこぼれ出た。

「…リーオ、かっこよかったなぁ」

あんな風に拒絶しておいてどの口が、と思うけれど、素直に思ったことだ。

元々、昔から彼は老若男女問わず人気があった。その隣を保つのも相応の努力が必要だったものだ。

昔のことを思い出して懐かしくなる。

しかし、と思い直す。

まだ、まだ足りない。こんな程度の努力では彼の隣はふさわしくない。

スポンサーリンク




「いいじゃないか、そんなのどうだって」
ふと聞こえた声に、顔を上げる。

「なんだ、そっちの『リーオ』か」

「なんだとはなんだよ、酷いなぁ」

アリスの目の前には一匹の黒猫がいた。

その猫が鳴き声の代わりに流暢に喋りだす。

「せっかく本物に会えたんだ。勿論、彼とともに行くんだろう?」

「……行かない」

「なぜ?」

確信したような口ぶりの猫に、アリスは鋭い視線を向ける。

猫は、驚いたように目を丸くした。

「君はあんなにも、彼を待っていたじゃないか。一体何が問題なのか、僕にはわかりかねるね」

「それは、…わかってくるくせに、言わせようとするの?」

「君の口から聞きたいからね。と、そうだった。エリオットから君に伝言」

リーオが目を細めて、なんでもないことのように続けた。

「明日また来るってさ。今度は逃げないでね、とも」

「……っ!あの、バカ!」

「あはは、意地っ張りな君にお似合いだと思うよ?僕はね」

「からかわないで!私は真剣に悩んでるっていうのに!」

からかっているような口ぶり。猫のリーオはいつもそうだ。
そんな彼に何度救われたかわからないなんて、口が裂けても言えないけれど。

「じゃあ今日は帰ったのね。……よかった、外にいて風邪でも引いたら困るもの」

「強情な女だなあ、君は。そこまで彼のことを心配するなら、家に入れてあげてもよかったんじゃない?」

戯言だ。心配する気持ちはある。だがそれだだけ。

「……ふぅん。まあいいけれど。明日彼は朝早くに来るそうだ。もう寝ようか」

:
:
:
:
:
:
:
:
:
:
:

いつの間にか眠ってしまっていたらしい。エリオットと再会できた興奮もあってなかなか寝付けないと思っていた。

けれどそんなことはないようで、寧ろいつもより早く眠りにつけた気がする。

「……ここ、夢の中……」

気づいたら森の中に幼い姿で立っていた。昔よく見た夢だ。懐かしい。

「どうしたの?アリス」

そして隣にはエリオット。こちらも幼い姿のままだ。どうやらまた、魔力の暴走で自分に都合のいい夢を作り出しているらしい。

呆れ半分、自分の幼さに自嘲するように笑って、アリスはため息をこぼす。小さい頃から、よくこの手の夢を見た。

幼い姿の自分。隣には幼馴染の少年。自分の思い描く通りの理想の未来。

ずっと続いてくれると信じていた、永遠の幸せ。叶わなかった願いの実現。夢の中のアリスはいつだって自由だった。
エリオットと毎日遊び、次の日の予定について語る。森にでかけたり、街へお忍びで遊びに行って、エリオットのおじさまに怒られたり。

そんな理想郷。なんでも叶う、幸せな世界。

「―――アリス?」

どこか幼さの残る、舌足らずな少年の声がアリスを夢の中へ引きずりこむ。

「…ううん、なんでもないわ」

平静を装って、アリスは首を横に振った。成長するにつれ魔力操作のすべを身に着けたアリスは、意図的にこういう夢を見るのを避けていた。

だってこれはしょせん夢でしかないのだ。アリスの中にある記憶を繋ぎ合わせて、有り余った魔力が悪戯に見せる一抹の幸せでしかない。

二度と戻ってこない平穏の夢など、傷を抉るものでしかない。夢の中ではどんなに幸せだって、現実はそうはいかないのだ。

目が覚めればアリスはたった一人、布団の中で目を覚ます。

確かにこの夢は、村を出たすぐ位は、心の安寧に手を貸してくれていた。寂しくて眠れない夜。

寝込みを誰かに襲われるのではないか、なんて疑心暗鬼に襲われた時も、眠れば変わらない幸せがそこにあって。

出てくる人も、交わす言葉もなにもかもがアリスの望み通りになる。約束ひとつとってさえ、なにもかもがアリスの願うままなのだ。

原因はとっくにわかっていた。発散するあてのない、『エリオットに会いたい』というアリスの願いを、魔力が叶えてくれている。

それにどれほど救われたかわからない。夢の中のエリオットは永遠にあのときのままだ。当然のことだ。

スポンサーリンク




アリスは10歳で別れてからのエリオットの成長した姿を知らない。
アリスの背が伸びて、彼からのプレゼントであるワンピースのサイズが小さくなっても、エリオットは変わらない姿でそこにいてくれた。

一度成長した彼を想像してみたものの、どうしてか想像できなかった。きっと成長してほしくなかったのだ。

時が止まってしまえばいいのにと思ったことですら、夢の中に反映されているのだ。

夢の中では幸せだ。だけど目を覚ませば、ひとりぼっちだという現実に心を乱される。だからいつしか、夢の中に逃避することをやめた。

「変なの」

エリオットは何がおかしいのかへらりと笑って、おやつのドーナツに噛り付いた。

「そうだ、お話のつづきをしてよ。ぼく、きのうからまってたんだよ?」

昨日から、とエリオットは言う。

ということは、これはアリスが村を出る前日の話の続きだ。

「はやくしてくれないと、アリスの分のおやつも食べちゃうよー!」

純粋無垢なエリオットの輝きが今の自分には少しまぶしくて、目を逸らした。

「ねえ、リーオ。もし私がいなくなったら、どうする?」

アリスはかごの中からドーナツを取り出して、なんとはなしにそう尋ねた。

「………えっ、」

突然の問いかけに、エリオットが目を丸くする。

今だから言うが、予感はあったのだ。嫌な予感がした。

魔力をもって生まれてくる子供は決して多くない。中でもアリスレベルの魔力保有量は、国中でも例を見ない。

前例は、処刑されることが多い魔女だというくらいだ。いつかはその日が来ると、思っていた節はあった。

魔術に縋り、アリスに頼みごとをする大人たちの言うとおり魔術を使っていたアリスは気づいていた。

時が来れば、すべて変わってしまうだろうと。

でも、アリスはまだ幼くて、大人の言う通りになるしかなかったのだ。

「アリス、どこかに行っちゃうの!?」

「冗談。どこにも行かないわよ。……………行きたく、なかったよ」

小さく零れた本音。あの日言えたらよかった。言えていたら、未来は変わったかもしれないのに。

エリオットは泣きそうな顔で、アリスを見つめている。

馬鹿か。これは正史の話ではない。所詮はアリスの夢の中の話。夢の中の出来事。目覚めれば終わる。

いつもと同じ。

それだけなのに、いつもと違う気がした。

「心配、だったんだぁ」

エリオットが、そう言った。

「え?」

安心したように胸を撫でおろして、エリオットは微笑む。

そんな彼に、既視感を覚えた。いつかどこかで同じやり取りをしたような気がする。

「アリスは、どこにも行かないでね」

「―――」

「最近、父様たちがぼくたちにないしょで話をしてるんだ。何の話か分からないけど、よくない話だと思う」

まるで予言めいた言葉に、アリスは息を呑んだ。頬が強張っていく。何も言えない。

「え、っと」

「どうかした?」

エリオットは目を細めて、まるで何もかもを見透かしたように首を傾げている。

「あの、あのね」

アリスは自分の心臓が壊れてしまうのではないかという不安に駆られた。何かがおかしい。
これはいつもの夢とは違う気がする。

「ぼくはさ、いつもアリスに助けてもらってばっかりだから、たよりにならないかもしれない」

「……そんな、こと」

「でも、なにかあるならぼくに教えてほしいな。役目とか、家とか、かんけーない」

―――アリスを一番に考えてるから。とエリオットは一言添えて微笑んだ。

「エリオット!!」

思わずたまらなく愛おしくなって、後先考えず飛び付いた。

「わっ、あ、アリス…」

体重がかかっているせいか、エリオットは小さく呻いたが、突き放されはしない。
優しく、壊れ物を包むようにやわらかく、抱きすくめられる。

「私、わたしね………」

「うん」

「わたし、ずっと、君とずっと一緒にいたかった!どこにも行かずに、そばにいたかったの!」

『どうせ夢なら、伝えてしまえよ―――』なんて、誰かの声が聞こえた。

聞いたことのある黒猫の声だ。

これは夢だ。だから本物のエリオットじゃない。

夢だと割り切れれば、あとは簡単だった。

この際だ。全部全部、洗いざらいぶちまけてしまえばいいのだ。

「―――アリス」

ゆっくりと、躊躇いがちに名前を呼ばれた。ゆるりと顔を上げ、エリオットの顔を見つめる。

そこで、異変に気が付いた。

「な、なんで泣いて―――「やっと、やっと言ってくれた」

エリオットはなぜか、今にも泣き出しそうなほど顔をくしゃくしゃに歪めていた。
けれどその表情はどこか晴れ晴れとしていて、嬉しそうで。

「僕は、その言葉を聞きたかったんだ。ずっと、ずっと後悔してた。
…知ってたんだ。父様たちが何か企んでいて、アリスによくないことが起こるかもしれないってこと」

悲しそうに、苦しそうに、エリオットはまるで罪を懺悔する罪人のごとく、暗い表情で語りだす。

「本当は君に話すべきだった!言わなくちゃいけなかったんだ。だけど僕は父様が好きだった、村の人たちみんな好きだった!
だから、信じられなくて、言えなかったんだ……ッ!」

ぼろぼろと、感情の決壊に伴ってエリオットが泣き出す。

「だからアリスに拒絶されても仕方がないって、思ってた。恨まれてるだろう、憎まれてるだろうって思ってた。
君に再開して、ようやく、自分のしでかしたことの大きさに気が付けた。でも―――」

そこでエリオットの言葉が途切れる。

エリオットの姿が蜃気楼のように揺らぐ。

「エリオット!?」

次の瞬間には、成長した青年がそこにいた。

「僕はもう、誰かに流されて大切な人を失いたくない。アリス、だから僕にチャンスをくれ」

弱虫で、泣き虫だったエリオットはもういなかった。15歳になった青年のエリオットだ。
声は低く、身長はアリスより大きい。

「―――嫌、違うわ。これ、これは私の夢のはずでしょ?私こんな展開望んでない」

やはりいつもの夢とは違った。けれど意味が分からない。

エリオットには魔術の適正はなかったはずだ。少なくとも5年前別れるまでは。

それにそもそも、魔術に関しては生まれつきの素養がなければ一切使えない。

だから本物のエリオットがここに入り込むのは不可能のはずで。

混乱しきりで状況がつかめないアリスに、エリオットは薄く微笑んでから、ゆっくり視線を下に落とす。

スポンサーリンク




「彼が、僕をここまで連れてきてくれた。ごめん、騙すつもりはなかったんだよ」

「彼、って」

「なーお」

わざとらしく猫を模倣した、生き物の声。間違いなく、アイツの仕業だ。

「『エリオット』!!」
声の主は一匹の黒猫だ。

「『やぁ、僕のプリンセス。いい夢は見れてるかな?』」
まるで普通の猫のように振舞いながら、黒幕が草陰から出てきた。

「ふざけないで!リーオになにかあったらどうしてくれるの!?」

他人の夢へ介入する魔術は、ある一定以上のレベルの魔術師にしか操れない。
一般人が使えばどんな副作用があるかもわからないのだ。
それに多くの魔力を消費する。もともと魔力を持たないエリオットにとって、危険しかない試みだ。

仮にこの黒猫の助力があったとしても、あまり挑むべきではない。

アリスはエリオットの首根っこを掴んでつかみ上げる。

「『あはっ、怒った顔もなかなか魅力的……って、わかったからおろしてよー』」

じろりと睨みつければ軽口をたたこうとした猫も口をつぐむ。

「この猫が、アリスの本音を聞かせてあげるって」

「『僕のお姫様はなかなか強情で、しかも天邪鬼でね。困ったものだろ?』」

「慣れてるよ」

「『まあそれもそうか。なんせ君は僕以上に彼女と一緒に生きていたんだものな』」

猫とエリオットは親しそうに言葉を交わす。置いてけぼりのアリスは猫の口元を力強く引っ張った。

「『いひゃい』」

「あらそう?ごめんなさいね」

「反省してる?」

「『してる、してますってば…」」

「………」

アリスは小さく鼻を鳴らして、反省しているらしい黒猫をゆっくりと離した。

「『と、そうだ。アリス。選びなよ』」

「選ぶ?なによ急に」

地面に着地した猫は、アリスを見据えてそう言った。

少しだけまじめな声で、ワントーン落ちた低い声だ。

「『そ。人間たちが、王子様を取り戻そうと森に向かってる。もうここにはいられないよ。
だから選ぶんだ。君がこの先の未来を』」

「なっ」
「げ」
二人の声が重なった。

「ちょっと、どういうことなの?一回村に帰ったんでしょ?アンタ昨日、そう言ってたわよね」

昨日、黒猫はエリオットが村に戻ったと言っていたはずだ。アリスはそれを信じた。

「……それは」

「エリオットは黙ってて!私はそこのふざけた黒猫に聞いてるのよっ!」

「あ、はい…」

あまりの剣幕に、エリオットは黙るしかない。黒猫は飄々と、二人の間をすり抜けていく。

「『確かにそんなこと言ったけど、そのあとすぐに戻ってくるとは思わないじゃない?
ボクも予想外だったんだからそんなに怒らないでほしいなぁ』」

「ぐっ……人のこと馬鹿にしてる?」

「『してないよ』」

「―――ごめんっ、僕のせいだっ!」

猫とアリスのやり取りに、エリオットが割り込んだ。

「人数は10人くらいだよね。たぶん、武装してる?」

「『よくわかったねぇ、その通り。君の知り合い?よく似た顔の男の子もいるし』」

「うげ」

猫の情報にエリオットはげんなりした様子で俯く。

「もう朝になってたのか。夜のうちに戻るつもりだったんだけどな」

「どういうこと?」

アリスがエリオットに問いかけると、どこか気まずそうに目線を逸らした。

「本当は今朝、王都への出頭命令が出てて、村を出る予定があったんだ。
出るのは朝の予定だったから、それまでには戻るつもりで……」

「つまり、夜のうちに抜け出してきたのね」

「はい……」

うなだれるエリオットを、アリスは一瞥して、ため息を吐いた。

「ごめん、僕のせいでまた、君に迷惑を……」

「そんなことどうだっていいから!戦争に、行くの?!」

「………うん。アリスと最期に話せたら、勇気が出るような気がした。だからここに来たんだ。
それで、頑張ろうと思った―――んだけど」

エリオットの言葉尻が震える。

「やっぱり、怖くて…」

「その服、おじさまの?」

「あぁ、これ。死んだ父様の、というかウチに伝わる軍服だよ。
サイズが少し大きいけどね」

今になって気づいたが、エリオットの服装は昨日とは違うものだった。深い緑の軍服。
見慣れない形の階級章。身の丈に余る服の袖が、エリオットが成人したての子供だということを主張している。

どこか痛々しく感じてしまうのは、昔着ていた人を重ねているからだろうか。

「知らなかったよね。次は僕の番なんだ。けど、怖いんだ。あんなに強かった父様でさえ、あっさり殺されちゃうくらい強い相手に僕なんかが敵うわけもない。
むざむざ死にに行くようなものでしょ?」

昔、エリオットの父親が同じ格好をしてどこかへ出かけていく姿を見ていた。
帰ってきた彼は傷だらけで、無傷で帰ってきたことのほうが少なかった。
幼心に戦争や、好きな人の父親を戦争に向かわせる大人たちに怒りを覚えたものだ。
そして今はエリオットさえも、戦場に駆り立てようとしているのだ。

「僕は逃げ出したんだ。昨日、そこの猫に言われた。『怖いなら、逃げてしまえばいいんじゃないかい?誰も君を責めたりしない』ってさ。
それからのことはなんだか曖昧で思い出せない。気づいたら、アリスの夢の中にいた」

「そんな―――本当、なの?」

逃げてしまったことを責めているわけではないのだ。けれど当のエリオットは後悔に満ちた顔で下唇を噛んだ。

「でも、僕は逃げちゃいけなかったんだ。僕が逃げたせいで、アリスに迷惑がかかった。それに、エドも―――」

「『あぁ、人間の群れには君によく似た子供がいたね。人質とは人間側も手段を選ばないねえ』」

エリオットは、覚悟を決めたように、深く息を吐いた。

「アリス、僕行ってくるよ。行かなくちゃ」

父の死は幼かった僕にとって衝撃的な出来事だった。初めて死を身近に感じたから、怖くて仕方がなかったのだ。

「エリオット!でも!」

―――きっと、必要なことなのだ。これは必要な犠牲で、けれどなくてはならない尊いものなのだと自分に言い聞かせて生きてきた。
5年前は父。次は僕。あと一回、僕が犠牲になれば戦争は終わるからと言いくるめられ、大人の言うがままに鍛錬を重ねた。

死ぬために強くなるだなんておかしいことだ。騙されているのかもしれないと何度も思ったのだ。

でも知ってしまった。あの日、父が死んだのはほかでもないある男の裏切りによるものだと。
だから死にたくなかった。でも、僕が行かなければきっと次は弟の番だ。

例えすべてが策略だったとしても、行かなければいけなかったのに。
今の今まで、何故か思い出すことができなかった。

スポンサーリンク




「『あーぁ、せっかくボクが気を聞かせてやったってのに、アリスが騒ぐから術が解けちゃった』」

「……?」

突然、黒猫がつまらなそうにぼやいた。

「アンタ、エリオットに魔術を使ったの?」

悪びれる風もなく、どこか誇らしげに猫が顎をあげた。

「『僕はアリスのことを一番に考えてるよ?だからこそ、君のために力を使ったんだ。だって待ってたんでしょ?本物をさ』」

アリスが僕を待っていた。その事実はきっと喜ぶことなのだろう。

でも、今は。

「ごめん。アリス」

「嫌」

アリスは首を横に振る。

「どうしても、行かなくちゃいけないの?戦いなんて、エリオットには向いてないわよ」

エリオットはゆっくりと立ち上がった。先ほどまでの弱気を隠して、精一杯虚勢を張る。

「どうしても」

エリオットは、震える体を叱咤して、アリスの顔を見る。

「わかってるよ。戦いに向いてないことくらい。死ぬかもしれない戦いに行くんだ」

「だったら、どうして?コイツの言う通りよ、逃げたっていいじゃない。誰もリーオを責めたりなんかしないわ」

「それでも、行かなくちゃ、僕はアリスと一緒にいることはできない」

アリスの必死の説得にもエリオットは首を横に振る。頑なとして、縦には振らない。

「怖いって泣いてたじゃない!逃げたって、」

「思い出したんだよ。昔父様が言ってたこと」

「え?」

エリオットは懐かしい思い出を振り返るように目を細める。

「大切な何かを守るために、父様は戦いに行くんだって。
これ以上、大切な誰かを失わないように。守りたいものがあるから。帰りたい場所があるから」

「リーオ」

「ちょっと前まで、僕にとって守りたいものはエドだけだった。でも、アリスがいる。
アリスがいるから、この村を守りたい。だから、僕は行くんだ」

まだ少し怖いのだろう。エリオットの体は震えている。

「―――好きだよ、アリス。愛してる」

「な、な……なんでこのタイミング!?」

「このタイミング、だからだよ。アリス、帰ってきたら結婚しよう」

「ば、ばっかじゃないの?」
しんみりとした雰囲気を台無しにする告白に、アリスは耳まで赤くなった。

うれしい。でも、このタイミングは卑怯すぎる。

「あーっもう!聞かなかった!私、何も聞かなかったから!」

「えぇ!?」

アリスは恥ずかしさを吹き飛ばす勢いで叫んだ。

「な、なんでだよ?」

「そんくらいわかれ、バカ。鈍感。アホ。おおまぬけ」

「え、えぇー…」

「『おーい、バカップルー。そろそろ時間切れだよ』」

猫の声が割り込んだことで、二人とも我に返る。

「………そう、わかった。絶対、帰ってくるのよ無事だったら、告白の答えを聞かせてあげる」

「泣かないで、アリス」

「泣いてないわよ、バカ」

エリオットはそんな風に強くあろうとする彼女に、目を細めた。

「アリス―――」

抱きしめたくなって、手を伸ばした。

「『ぶっぶー、時間切れでーす』」

瞬間、意地悪そうににやりと口角を歪めた猫が二人の間に割り込んだ。そうして嗤う。

「『さぁ、楽しい楽しい現実へようこそ。人間―――』」

夢の終わりは唐突だ。

エリオットは自分の意識が遠のいていくのを感じながら、現実へ引き戻されていくその感覚に身を委ね、目を閉じた。

「………ん、……」

固い床で目を覚ます。エリオットはここがいつもの寝室でないことを悟って、そういえばアリスの夢の中に行っていたのだと思い出した。

「アリス…」

肝心の少女はまだ夢の中だ。

「行ってくるよ、アリス」

眠る少女の額に、ゆっくりと顔を近づける。触れるだけの浅いキス。

「―――愛してるよ」

世界で一番愛しい少女に背を向けて、エリオットは歩き出す。

絶対に負けられない戦いの始まりだ。


スポンサーリンク




「おやぁ、エリオット様。こんなところにいらっしゃったのですか?てっきり私は逃げたものとばかり」

エリオットが家の前に立っていると、人間の群れが近づいてくる。

先頭には、エリオットの一番嫌いな人間が陣取っていた。

嘲るように男は笑い、エリオットは男を睨みつける。

「僕も逃げようかと思ったよ。でも僕はお前みたいな卑怯者じゃないから、逃げないことにしたんだ」

アリスの存在を悟られるわけにはいかない。家を庇うように前に立ち、男たちと対峙する。
エリオットの皮肉に、男の笑顔が強張った。

「私が?一体なんのことやら?」

「とぼけるならそれでも構わないよ?真実はいずれ明るみに出るんだ。そのときがお前の最期だよ、ジークフリード」

もう、戦いに行くのは怖くなかった。村のためだとか世界のためだとか、そんなことのために戦おうとしていたときより、よっぽどいい。

そんなものよりもっと大事なものができた。守りたいものだ。
守りたいものを、自分だけで守るための力も手に入れた。

「エドの後見人はもういらないね。僕らは成人した。れっきとした大人だ。そうでしょ?エド」

「兄さま!」

父が死んでから一度も会わせてもらえなかった弟を呼ぶ。

すると人影の中から、見慣れた黒髪がひょっこりのぞいた。

「こっちにおいで」

「はい!」

手招きすれば、人波をかき分けてこちらに走ってくる。

「エドワード様!いけません!」

ジークフリードの静止も功をなさない。

「兄さま、その格好………」

エドは、エリオットの服を見てどこに行くか悟ったらしい。泣きそうな声になって、ぎゅっと服の裾を握っている。

「うん、行ってくる。村のことは全部お前にまかせっきりになっちゃうけど、大丈夫?」

「はい!ジークフリードは今日限りでクビにします!」

そうのたまって、エドは何度も頷く。

ジークフリードは顔面蒼白になって膝から崩れ落ちた。

「お前ら大人の汚いやり口にはうんざりなんだ。だけど感謝してよ?アンタたちが勝手に始めた戦争は、望み通り僕たちで終わらせる。
ただそれ以上、何一つだってもう望み通りにはいかないよ」

ざまーみろ、と二人揃って舌を出す。

「じゃ、行ってくるよ」

エリオットはエドにそう告げて歩き出す。

「―――リーオッ!!!!」

唐突に聞こえた第三者の声に、エリオットは立ち止まる。

「アリス!?」

「どうして黙って行こうとしてるの?寂しかったんですけど!?」

「……はぁ?」

アリスの謎の主張に、首を傾げる。

エドが「アリス!?」と驚いているが気にしていられない。

ざわつく周囲を置き去りに、開け放たれた扉からアリスを家の中に押し込んだ。

「ちょっと!痛いわよ!」

「なにしてるんだ!あそこには軍の人間もいる!父さまをはめた、ジークフリードだっているんだ!」

アリスは5年前、村にいた軍属の人間の一存で、国外追放を余儀なくされた。

国内追放を提言したのは、ジークフリードを筆頭とする軍のトップだった。

こいつらは今でもアリスを処刑するべきだったと言っているほどなのだ。
なにせ国外追放された後誰も死亡を確認していないのだから、アリスを快く思わない人間からしたら当然なのかもしれない。

「……ごめんなさい」

「何も言わずにいなくなったのは悪かったと思ってる。だけど今は時間がないんだ。行くよ」

「待ってっ!」

出ていこうと踵を返したエリオットの腕をアリスが掴んだ。

「新しい約束、きちんとしてない。――だから、新しい約束を交わしましょう」

ふわり、と髪が揺れる。あの頃と変わらない柔らかそうな髪だ。

夢の中とはまるで別人だった。泣いてなどいないし、悲しそうな顔でもない。

ただ前を見据えて、向き合おうとしている強い意志の宿った眼だ。

凛とした瞳で彼女はうっすら微笑んで。

エリオットが閉じた扉を開け放つ。

「ちょっと!アリス!?」

「私は逃げも隠れもしないわ!逃げてなんかやるもんですか!私はなにも悪いことなんてしてないわ。だからこそこそ隠れたりしない!」

「アリス様だ……」

「アリス様……?」

「馬鹿な…っ」

アリスの登場に一気にざわつく。

「ねぇリーオ。この世界に知らしめてやりなさい!魔女を敵に回すと怖いって!勇者をぞんざいに扱うと怖いって」

まるで世界に宣戦布告しているみたいに、厳かに、アリスは告げる。そんな彼女の瞳には一体何が映っているのだろう。

「エリオット!返事は!?」

「―――はい」

あまりに暴力的すぎる宣言に、吹き出しそうになるのをこらえて、微笑んだ。

小さく頷いて、アリスのそばに歩み寄る。

「おおせのままに」

芝居がかった仕草で彼女の手を取って、恭しく傅く。

「誓って。戦争を終わらせて、必ず私のもとへ帰ってきて。帰れたら、私の全部をあなたにあげるわ。エリオット」

「はい」

エリオットは頷いて、承諾の意を示す。手に取った彼女の手の甲に、優しく唇で触れた。

それがふたりの誓いだった。

それだけで、別れの言葉は必要なかった。


スポンサーリンク




そののち、一年もしないうちに戦争は終結した。

簡単な話だ。
勇者の血を色濃く継ぐ血縁者が戦争に二人も参加すれば、もともと拮抗していた人間対亜人族のバランスは一気に傾く。

勿論犠牲が全くでないわけではなかった。しかし、向こうも長年の戦に疲れ果てていたということもあり、半年くらいで停戦の話が出た。

人間側も勿論それを受け入れた。もともと長年戦争を続けているうち、戦争を始めた理由もお互い忘れてしまっていたくらいだからちょうどいいのだ。

勿論エドワードの後見人にはさんざん文句も言われたが、正直成人したのに家に居座っている時点で相当図々しいので、やんわりと追い出そうとしたら黙った。

ここまでは長かった。でも、それだけの話だ。

もう終わった話に、エリオットはとやかく言うつもりもなく。

:
:
:
:
:
:
:
:
:
:
:

「おかえりなさい」

村に戻ると、新しい家が一軒建っているのは知っていた。
戦争中一度も村に戻らなかったエリオットだが、それが誰の家かなんてとっくのとうにわかっていた。

「アリス!」

家の前で花に水をやっていた女が振り返り、こちらを見た。

「遅かったじゃない、のろま」

「の、のろまってそんなぁ…これでも一応すごく頑張ってきたんだけど!?」

半眼で罵られ、思わずたじろいだ。けれどアリスは「冗談よ」と短く笑う。

足元には、喋らなくなった黒猫がいた。

「ただいま、えっと…リーオ?でいいの、コイツの名前」

「あ、その子はリーオじゃないわよ」

1年前は流暢に喋っていた猫に声をかけると、アリスが大げさに笑って見せた。

「よく似てる、っていうか区別がつかないんだけど」

「リーオは旅に出たわよ。本物と同居なんて冗談じゃないってね」

「なるほど。彼らしいや」

苦笑いでそれに応じて、エリオットは猫を抱き上げる。

黒猫は人懐っこいのか、エリオットにすり寄ってごろごろのどを鳴らし、「調子に乗るなよ」と短く告げた。

「え!?は?」

聞き間違いかと驚き、慌てふためく。

アリスには聞こえないらしく、小首を傾げて「どうしたの?」と問いかけてくる。

「な、なんでもないよ。それにしてもよく似てるなぁ」

乾いた笑みをこぼし、猫を撫でた。

「約束を守ったから、約束通りアリスは君にあげるよ、人間の王子様」

猫はそれだけ言うと、エリオットの腕の中から抜け出して森のほうに走って消えていった。

―――約束は果たされ、約束の果てに彼と彼女は結ばれた。

これは彼女と彼が、約束を果たして結ばれる、ただそれだけの物語。
その後彼女たちがどうなったのか、知るものはいない。


スポンサーリンク




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です