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指輪~日常系 おすすめ小説


「美穂さんてあまりジュエリーって付けないんですね」
肉を切る手を止めて、かおりはそう言った。

熟成肉を自然派ワインと共に楽しめるこのレストランは、クオリティーが高く、コストパフォーマンスも驚異的によかったので、人気が高く、予約を取るのが大変だった。

しかし、かおりが1時間以上も店に電話をかけ続けて予約を取ってくれたのだった。

長い時間をかけてじっくりと熟成された肉は、見た目は新鮮な肉に比べて少しグロテクスにはなってしまうが、「時」に磨かれた、肉というもともとの素材を超えた、深い旨みがあった。
 
かおりとは2年前、ワイン学校の基礎クラスで知り合って、それ以来、月に2~3度ほど食事をする。

二人とも40台半ば。いい大人になって月に2~3回はかなり親密な付き合いと言えるだろう。

美穂は出版社勤めの独身、かおりは専業主婦。生活の違いはあれど、とてもウマがあった。二人とも、ワイン学校の金持ち連中の見栄の張り合いと空虚な会話に辟易していたのだ。

ある日、レストランでのクラスのワイン会の後、レストランのエントランスで、美穂がなんとなくむなしい気持ちでぼーっと立っているところにかおりが、「コーヒーでも飲んで帰りませんか」と声をかけたのだった。


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裕福な専業主婦のかおりはいつも高価そうなジュエリーを身に着けていた。しかし、それは旦那に買ってもらったものではなく、独身時代に働いて自分で買ったものが大半だという。それを聞いて、美穂は意外に思いながらも、素直にすごいなと思った。

「かおりさんはいつも素敵なジュエリーを身に着けているんですね。今、している大粒のブラウンダイヤの指輪、時々付けてるけど、これ、私も綺麗で好きだなあ」

美穂がそう言うと、かおりは、「ブラウンは、他のダイヤと比べて等級が低いし値段も安いけど、でも、私は気に入ってるの」と言いながら、指輪を外して美穂に渡してくれた。

ブラウンダイヤは、まるでミラーボールのようにチカチカと虹色の光を細やかに放ち、見る者を感動させるような自然の神秘がそこにはあった。

美穂はその指輪をはめさせてもらいながら、心が躍っている自分に気がついた。

それは宝石そのものの美しさのせいだけではなかった。やはり女にとって指輪は特別なアクセサリーなのだと思った。

そして、今まで自分の指をすり抜けた多くの指輪が走馬灯のように頭をかけめぐった。
 
独身で、いま現在彼氏ナシの美穂も、今までの人生でいくつかの指輪が贈られてきた。

最初に贈られた指輪は二十歳の記念に両親からプレゼントされたもの。細い金のリングの真ん中に少し大きめのダイヤが入ったきゃしゃなリング。若い女の子が身に着けても嫌味がなく、初めての「宝石」に美穂はときめいていた。

成人式の着物は買ってもらえなかったが、美穂はジュエリーをもらったほうがずっと素敵だと思い、満足だった。

思えば両親は苦しい家計の中で私を大学に入れてくれた。だから娘の成人式に高価な振袖を買うなどは無理だったのだろう。それでも二十歳の記念に、大人への第一歩を飾れるような「ジュエリー」という素敵なものを贈ってくれた親の真心を、両親と同世代になった今、しみじみと感じさせられ、胸が痛む。
 
2つ目の指輪は、初めて付き合った男性…大学で同じクラスだったボーイフレンドから贈られた、誕生石のトルコ石が入った金とプラチナの指輪。

指輪は、丸井で売っているようなカジュアルなものだった。でも、美穂は、指輪というものが真剣な愛の証のような気がして、うれしかった。

そのときの美穂にとっては、彼が全てだったのだ。なんでも彼に相談して、アルバイトやサークル活動、交友関係、取る授業に至るまで全部彼に決めてもらっていた。初めて女性としての全てを捧げたことにより、彼に人生そのものを預けてしまったのかもしれない。

だが、大学卒業をひかえたある日、彼が、故郷の九州に住んでいる初恋の女性にも同じ指輪を贈っていたことを知った。彼自身があっけらかんとしゃべったのだ。

「俺って罪な男だよな~」そう言って自分に酔っている彼。どうやらその時流行った小説の主人公が二股愛に悩んでいるのに影響され、自分も同じことをやってみて、小説と自分を重ね合わせたかったらしい。俺ってまるで●●(その小説の主人公の名前)みたいだな、とにやけながら繰り返し言っていた。

美穂は怒りがこみ上げてきた。私が処女を捧げたというのになんだこの男は!

「カルチェの三連買って!買ってくれないなら別れる」

カルチェの価値のなんたるかなんてその時は本当はわかってなかった。

でも、どうにかしてその「初恋の女性」に勝ちたかった。その女性が彼の故郷の町のミスコンテストで優勝した評判の美人であることも嫉妬心に火をつけた。

「カルチェ、カルチェ」と鬼のように言い続けたら彼はなんとアルバイトして買ってくれた。「カルチェの三連って、結婚指輪にしている人もいるらしいね」という言葉とともに。

プロポーズだった。思わぬ展開に驚いた。彼は意外と真面目に美穂との将来を考えてくれていたのだ。

しかし、美穂は、何かが足りないと思った。例えば彼は「自分のいいところ」を全く見せようとしてくれなかったし、美穂が喜びそうなことを考えて自ら提供してくれたりすることもなかった。

この人は「私を見てない」。ほんとはホレてないのだ私に。そして、この人といるとずっと思考停止したまま自分の人生を決めつけられ、女性としてリスペクトしてもらえず、私自身自分を好きになれることもなく一生を終わるのだ!そういったことがまるで稲妻に打たれたかのように突然理解できた。

美穂は彼に別れを告げた。

彼はびっくりして、毎日何度も、やり直そうとの電話やメール、そして手紙まで来たが、ガンとして受け付けなかった。そして「クラスの中島君が好きになったからあなたの存在は必要なくなった」などと残酷な言葉を浴びせた。

そのうち二人は大学を卒業し、彼の方は故郷の企業に就職した。数年後、地元の女性と結婚したとの風の噂を聞いた。
 

この時から美穂の自分探しの旅が始まった気がする。人の目には「迷走」に見えるのかもしれない。でも、人生でやっと、「自分で考えて自分で選択する」ことを開始したのだ。

美穂はやりたいことを全部やってみた。歌、演劇、フランス語、ジャズダンス、フラメンコ…あまりお金にならないことばかりだった。でもやりたいこと以外はやりたくなかった。

仕事の後は即、「自分探しの旅」へと出発した。演劇のワークショップに通ったり、フランス語学校に行ったり、絵本作家に弟子入りしたり…。

自分探しといっても転職のための実務的な自己啓発はほとんどしなかった。好きなことをがんばれば道は開ける!そんなお気楽ポジティブな根拠のない自信で突き進んでいた。

ほとんど本職である会社の仕事のことは眼中になかった。だが、会社の中ではなぜかそれなりに評価され、会社の看板である企画営業部に異動になり、昇格までした。自分探しのついでに資格を取りまくって会社に申請したことにより、「やる気と能力がある」と見なされたのだ。

取った資格は、TOEIC850点とワインエキスパートと宅建…医療関連の広告代理店である美穂の会社とは全く関係ない資格だった。しかし、申請すると祝い金がもらえた。だが、異動しても昇格しても、美穂は相変わらず会社の仕事には全く興味がなかった。


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3つ目の指輪は…長く「自分探しの旅」をして彼氏不在の時代を過ごした後、ある日突然出来た年下の彼からもらった指輪だった。

その日は変な日だった。学生時代の友達と昼から飲んで、夕方の早い時間に別れた後、1人歩いていると次々と男性に声をかけられた。美穂は、声をかけてくる男性と片っ端から飲んでは連絡先を交換して別れる、を繰り返し、とうとう終電の時間になった。

泥酔していたが何とか自宅の最寄り駅にたどり着き、コンビニに寄ってさらにビールを買った。そしてコンビニを出て少し歩いたところで、「飲みに行かない?」と声をかけてきたのが彼だった。
童顔で背が高くて爽やかなカジュアルファッション。好みのドストライクだった。

「行こう!」酔った勢いも手伝って、美穂は自分から腕を組んでいった。しかし、結局飲みには行かず、そこからほど近い彼のマンションへ直行した。その道すがら、彼は言った。「ねえ、付き合う?毎日会う?」

次に会った時、彼は、銀座へと美穂を連れ出した。

「指輪を買ってあげる。40万円までならいいよ」

その時、美穂は33歳。彼は7つ下の26歳。さすが大手銀行の社員は違うと思った。そう、彼は誰もが知っているメガバンクの本社勤務の社員だった。名前は佑介と言った。

二人はティファニーへ行った。40万…美穂は唾を飲む。ファッションリングだとしたら高価すぎるかもしれない。だが、すぐに美穂はあるリングに心を掴まれた。

その指輪の名前はダイヤモンド・ドッツ・リング。ダイヤモンドの水玉模様のリング。それはシンプルなバンドリングにダイヤがジグザグにぐるりとちりばめられていた。まるでプラチナの地面に光る雨粒のようだった。シンプルだけど洒落ていて、ずっと気に入って着けられそう…もしかして、これ、「結婚指輪」にもいいかも?などという考えがちらりと浮かぶ。値段は378,000円だった。

これが欲しい、と言ったら、佑介は一瞬しぶい顔をしたが、でも、その指輪を買ってくれた。

美穂は心の中で大きなバンザイをした。やっと私の人生も理想とする軌道に乗り始めたのだと思った。なにしろ、美穂の友達は皆、いわゆるステイタスの高い男性と、うらやましくなるような幸せな結婚を早々と決めていたのだ。

美穂はいわゆる「一流大学」を卒業していた。大学の同級生の一人はキー局の有名なアナウンサーと結婚してたし、他の一人はスチュワーデスになって商社マンと結婚していた。また、田舎の友人は、三流大学卒業なのに、地元の医者を捕まえて結婚した。

そんな中で、みんなに私の相手を見て見てとは声高に誇れないかもしれないけど、それでも、一流企業でルックスも爽やかで優しい相手…やっと私にも「それなりにふさわしい」幸せが舞い込んだんだ、と思った。
  
ところが、そんな幸せはすぐに脆く崩れ落ちた。
 

彼、佑介のメガバンクの本部勤務の肩書…ある日佑介に告白された。それは嘘だったと。実は大手メガバンクの「関連会社」の社員だったのだ。最初は本社勤務だったのだが、「今のわが社のやり方は閉鎖的で間違っている」と直訴したら、関連会社に飛ばされたとのことだ。

大学時代の友人にその話をしたら、「そうよね、そんなうまい話はないわよね」と言われたのがカチンと来た。

悔しい。

美穂はそれから佑介を避けるようになった。そしてとうとう佑介に別れを告げ、佑介の近所であったマンションを引き払って他の、遠くの町へと引っ越した。

でも、佑介は美穂以外の女性は考えられないとガンとして食い下がった。電話に出ないようにしたら、携帯電話には毎日、着信履歴が50件~60件ほど入っていた。そしてそのうち、佑介はうつ病になってしまい、会社を休みがちになってしまった。

美穂は、輝かしい結婚をした友人の顔をチラチラと思い出すにつれ、佑介がふがいなく感じ、同情するどころかますます冷たくした。しかし、どんなに冷たくしても佑介は美穂に連絡を入れ続け、美穂の希望に少しでも叶うようなデートを企画し、プレゼントを贈ったり、食事に誘ったりし続けた。 

美穂は他に気に入った男性が現れるわけでもなかったので、寂しくなったり、暇だったりしたときは、自分の行きたい店や見たい映画に佑介を付き合わせた。会計はすべて佑介持ちだった。しかし、佑介は少しでも望みが出たかとまるで餌を投げられた子犬のように美穂の提案に飛びついてきた。そういうしながら結局ずるずると、出会いから数えて10年近く付き合った。

だが、その間、美穂の佑介への態度は、年々、ますます苛烈を極めた。相手を故意に傷つけるようになったのだ。


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「私が無理だとわかったら他の相手を探すためにお見合いパーティに出なさいよ。他の相手を探しもしないで私に付きまとうなんて怠慢もいいとこ」

「あんたはいらない男になったのよ。自覚しなさいよ」

「はい、お食事ご馳走様。もう用はないから帰って」

するどいナイフみたいな言葉を浴びせても、佑介はさびしそうに笑うだけだったのだ。そして美穂を追いかけ続けた。

美穂はだんだん長い年月をかけて、自分の精神がゆがんで醜くなるのを感じていた。このままではいけない、と思った。時がどんどん過ぎてゆく。私の人生このままではいけない。ある日美穂は意を決して佑介の会社に電話した。

「御社の社員の松山佑介さんに付きまといの行為をされてとても困っています」

時は流れた。ある日ふとした拍子に佑介と連絡が取れてなぜか飲みに行くことになった。
有楽町のガード下の昭和の雰囲気が漂うような年期の入った居酒屋だった。

煙草のヤニでよごれた壁には、細長い紙の札で品書きが書かれていた。しめ鯖、ポテトサラダ、煮込み…。昔、美穂はこういうところに行こうと佑介が言っても断固拒否してた。でも今回は美穂からこの店に入ろうと言ったのだった。

そのころ佑介は別の金融機関に転職し、仕事も安定していた。

美穂はと言えば、仕事に失敗して、会社では閑職に飛ばされ、今は会社の文房具やコピー用紙の手配、銀行や郵便局へのお使いなどあらゆる雑用を押し付けられていた。職位も降格になり、給料も大幅に減って、暮らしも貧しくなった。マンションもグレードの低いところに引っ越した。

そしてプライベートでは、1年あまり付きあって、結婚まで考えていた男性が、実は婚約者がいたということが最近わかり、そのことでもめて、相手の女性から呼び出され、生まれて初めての修羅場を体験した直後だった。

「あの時はホントに困ったよ。美穂が会社に変な電話したから、会社の中で大問題になって、窓際族になったんだよ。会社の郵便の整理とかしてたんだよ」

「ごめんね。私もどうしていいかわからなくて…。でも、今は、いい会社に転職して、生活も安定しているみたいだね。結婚もしたみたいだし。よかったね」

佑介は相手の女性の写真を見せてくれた。10歳下で、女優の和久井映見に似た雰囲気の、清楚で感じの良い女性だった。

「へえ…やるじゃん」

「実は先月籍を入れたばかりなんだ。11月の13日が入籍記念日ね。式はまだ」

それって私の誕生日じゃん、と思ったが、美穂はだまっていた。

佑介の結婚指輪にふと目をやる。

「おお~、結婚指輪だね!」

「そうだよ、百貨店によく入っているなんでもないブランドだけどね」

「エンゲージリングはあげたの?」

「いや、妻がね、いらないって。それよりも家財道具とか家電とか新生活に必要なものにお金をかけようって」

「そっかー。最近そういう人多いよね」

「この指輪、お前にあげた指輪よりもぜんぜん安物だよ。値段は半分以下かも。あ、そういえば、お前、あの指輪どうした?」

美穂は言葉につまった。悲しみがこみあげてくる。彼からもらったティファニーの指輪は中野のブロードウェイにある小汚い宝石屋に売ってしまった。両親からもらった指輪も、仕事で頑張って買ったロレックスの腕時計もすべて…。

降格による大幅な給料ダウンにより、そこまで生活が苦しくなったのだった。貯金もすべて切り崩した。美穂にはもう何も残っていなかった。

「どうだったかな?実家に送ったから母がもしかしたら使ってるかも?」

あいまいな言葉でごまかしたが、目からは涙があふれてきた。

「美穂大丈夫?」

「うん…あなたにはずいぶん愛してもらったのにひどいことばかりして本当にごめんね」

美穂は自分でも驚くぐらい涙が止まらなかった。人目など気にしてられなかった。今、泣かないと悲しくて倒れそうだったのだ。

佑介はそれをじっとみていたが、その後、静かに言った。

「いや、もういいんだ。それよりも美穂に元気になってほしい」




赤ワインのグラスに口をつけ、一口飲んだ後、美穂はかおりに言った。

「いろいろな指輪が私の人生をすり抜けていったな…でも、今は何も残ってないわ」

自嘲しながら肩をすくめた。

かおりは微笑んだ。

「これから、でしょ…?」

これから…これからも人生は続くのだ。美穂は忘れていた。

はは…美穂は苦笑いをした。

指輪…それは「あなたは素晴らしい」という祝福の気持ちが形になったものなのだ。それを私は何度も溝に捨てて来た。本当に人の真心を踏みにじるようなろくでもない生き方をしてきた。そして結局誰も愛せなくて自分のことも愛し損ねてきたのだ。

でも。

これからも人生は続く。これからでもいいから頑張って祝福の証である指輪をいただけるような人生を送れないだろうか。

こんな調子で生き続けていたら、ほんとにひどい一生だったと寂しい思いで死を迎えるだろう。もう一度、自分の存在を祝福していただけるような誠実で輝きのある生き方をしなければ。そして祝福を受けたなら、今度こそそれをちゃんと大切にしよう。

もし誰も指輪をくれなかったら…素晴らしいね美穂、と自分に言えるような人生を過ごして、とびきりの指輪を、心からの祝福を自分に贈ろう。

大丈夫、まだ人生は続く。

「そうだね。頑張る!かおりさん、ありがとう」

美穂はグラスに残った赤ワインを飲み干すと、かおりに笑いかけた。

まるで厚く垂れこめた灰色の雲群から突然まぶしい陽光が差したような、そんな笑顔だった。


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