ホワイトデーとは、一体何ぞや、というのが僕の長年の人生の七不思議レベルの疑問だった。
バレンタインデーは、まだ分かる。セイント・ヴァレンタイン・デーとして世界中でも有名な日であり、聖ワレンティヌスさんという「愛の聖人」を称えて始まった愛のイベントというのも知っている。
女性から男性にチョコレートを贈るという謎の風習は見事にデパートの戦略にはまった資本主義国家日本ならではと言われているが、まぁ、海外ではカードや花を贈る風習がある中で、年賀状以外にカードを贈ったりする習慣が無く、まして花をプレゼントしあうような習慣も無い日本で、チョコレートが愛を伝えるツールになるのは、ギリギリ納得だ。
ただ、女性から男性へ、というのは少し首をかしげたくなるし、その上、男性から女性へのお返しをするというホワイトデーは、本当にその存在意義が全く分からない謎の行事としか思えなかった。
第一、ホワイトデーという名前は一体全体どこから命名されたのか。
なんだかしれっと、あたかもバレンタインデーの対になるかのように幅をきかせているようではあるが、ホワイトって何だ!というのが僕の正直で純粋で素朴なギモンだった。
そんな話を会社の飲み会で半ば愚痴るかのように同僚にこぼすと、笑いながら「確かに」と言いながら、その場でホワイトデーに関して調べてくれた。
「へえー」と言いながらスマートフォンの画面を眺めて「なるほどねぇ」とにやけている。
「お前がブーブー言うのも分かるわ」
そう言って調べた内容を教えてくれた。
どうやら、ホワイトデーは、バレンタインデーに「女性から、好きな男性に想いを伝えるためにチョコレートを贈ろう」という商戦に打って出たチョコレート業界に呼応するかのように、「ではその1ヵ月後に今度は男性から女性へお返しをしたら良いではないか」と飴協会たる組織が打って出た商戦だったのだという。そして飴の原料になる白砂糖にちなんで「ホワイトデー」と名付けたのが、その由来なのだそうだ。
ほれみたことか!
僕は鬼の首でも取ったかのように勝ち誇って同僚に「だから意味が分からないって話なんだよ」と熱弁をふるった。
傍から見ると、僕はバレンタインに女性たちからチョコレートをもらえず、ひがんでいるだけの男性に映ったかもしれない。でも、実際は、何にこんなにイライラしていたかというと、会社内で大量の義理チョコをもらうために、ホワイトデーのお返しで頭を悩ますのと、出費がかさむのが嫌だったため、ホワイトデーの存在意義について疑問にしか思わないと主張していたのだ。
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、同僚は「確かにな」と苦笑いしながらも、「でも俺は良いと思うけどね、ホワイトデー」と言い始めた。
けったいな事を言う奴だなぁと思いながらも、彼の主張に耳を傾けてみることにした。
彼の主張は、バレンタインデーとホワイトデーは、奥手でシャイな日本人にはなかなかに嬉しいというか、ピッタリなイベントなのでは、というものだった。
例えば、想いを寄せている人がいたとして、その人が自分の事をどう思っているか分からないけれど、なんとかして自分の気持ちを伝えたいと思った時に、バレンタインというタイミングで、思い切って告白するも良し、それとなく好きだという気持ちを匂わせて様子を見るもよし、義理チョコだとわざと偽って反応を確かめるもよし、という。
そして男性は男性で、もしバレンタインの時に好意を抱いている女性にバレンタインのチョコレートをもらったら、それが本命であっても義理であっても、ホワイトデーというタイミングで自分の気持ちを伝える事ができる。もしくは、自分に気がありそうな素振でチョコレートを渡してきたものの、核心的な告白は無く、自分の事を本気で好きなのかどうかいまひとつ自信が無い時は、ホワイトデーで「匂わせる」という手段をとり、様子を伺う事もできる、という。
また、それだけではない、と彼は言う。
日本人はもともとコミュニケーションをあけっぴろげに取るのが得意ではないから、好きとか、告白とか、プロポーズとか、そういう愛を伝えるだけではなくて、日ごろ世話になっている人に感謝の気持ちを届けるのにもバレンタインデーやホワイトデーは良い役どころを担ってると思うぜ、との事だ。
普段面と向かってなかなか御礼などを伝えられない相手にその気持ちを言うのには良いきっかけになるだろう、と彼は言った。
だから友チョコとか、同性同士でチョコレートを贈り合ったりしてるんだよ、きっと、と。
なるほど、そう言われてみると、確かに、バレンタインデーもホワイトデーも悪くはないような気がしてきた。
ホワイトデーという名前は若干気に入らないが・・・と思ったところで、またフツフツとホワイトデー七不思議が湧いてきた。
「それは分かった。よし、認めよう。でもさ、結局ホワイトデーって何を返したら良いか分からないんだよな。飴とかマシュマロとか、言うじゃん?それ、なんかしっくり来なくて・・・バレンタインが、バレンタインといえばチョコレートってイメージがあるのに比べてホワイトデーってすごくフワッとしてない?」
この僕の疑問には流石の友人も「まぁ、それは確かに分かるな」と同意してくれた。
「俺は、女子が好きそうなクッキーとか、フィナンシェみたいな焼き菓子をあげてるけど。でもあれって、お返しするものによって意味が変わってくるって聞いた事あるぞ」
「意味ってどういうこと?」
思わず聞き返すと「ほら、あれだよ、本命なのか、友だちとしか思っていないのか、嫌いなのか、とか」と答えた。
「なんだそれ、めんどくせ~!」
僕はそう叫んでしまったが、多少参考になるだろうから、ホワイトデーのお返しを考える時の参考にしようとこっそり心に決めた。
そして迎えたバレンタインデー。
僕は、例年通り、いくつもの義理チョコをもらった。
甘いものは好きだし、チョコレートはよく食べるので、素直に有り難く頂戴するのだが、いつもホワイトデーを忘れないように、くれた人たちをリストアップしておく。
部署からの義理チョコでーす、と同じ部署の男性社員全員に平等に配られたチョコレートもあれば、「いつもお世話になっているから・・・」と直接1人の女性社員から手渡された僕宛のチョコレートもあった。
いつもお世話になっている保険のおばちゃんからも頂いた。
そのチョコレートのボリュームや価格帯も実に様々で、これを皆同じお返しにするわけにもいかないだろう、と、僕は食べる前におおよその「お返しにかけられる金額」をメモしておいた。
1つだけ、ちょっと気になるチョコレートがあった。
それは1年ほど前から始まったプロジェクトで同じチームだった後輩社員からのチョコレートで、僕はこの後輩社員を大変可愛がっていた。
恋愛感情を抱いているかと聞かれたら、正直、ちょっと分からない。なんというか妹のように思っていたので、恋だの愛だのの対象として見たことがなかった。
しかし、彼女からチョコレートを手渡しされて、不覚にもとても嬉しくなっている自分に気がついた。
あれ、これは、何だろう、この感情は、と思った。
確かに可愛がっていた後輩からのチョコレート、嬉しくないはずがない。僕には妹はいなかったが、妹にチョコレートをもらうとこんな気分になるのかもしれない。
好き、なのかな・・・と思わなくもなかったが、まだ自分の本当の気持ちを知るのにはもう少し時間がかかりそうだった。
まして僕は彼女の気持ちが分からない。
彼女に恋人がいるのかいないのかも分からない。
歳が3つ下で、独身という情報は知っているが、彼氏がいるのかいないのかなどというプライベートなところまで言い合えるような間柄ではなかった。
ただの「お世話になってます。これからもよろしくお願いします」のチョコレートに違いないと思ったが、手渡されたチョコレートは割と高級な海外のチョコレートで、丁寧に手紙まで同封されていた。
手紙の内容には「僕の事が好き」というようなニュアンスの言葉こそ書かれてはいなかったが、それでも、日ごろの感謝と、それから僕の事を尊敬して慕ってくれているらしいというのは手にとるように分かる文面だった。
そこで僕は、同僚から聞いた「匂わせて探ってみる」という作戦に出る事にした。
インターネットで調べてみると、色々なサイトでホワイトデーのお返しになりうる菓子の持つ「意味」について見る事ができた。
ただ、その情報は全てがピッタリと合致するわけではなく、あるサイトでは本命はクッキーだと主張し、別のサイトでは、いやいや正統派の飴こそが本命だと主張し、別のサイトでは「一番大事なのは直接あなたの想いを彼女に伝える事です」とごもっともな意見が展開されていたり、なかなかカオスな状態だった。
僕は、女性はこういう「裏の意味」や「込められた意味」などに興味があるものだろうと思い、検索した時に比較的上位に表示されるホワイトデーのお返しの意味を参照に、好意がある場合に贈ると良いとされるスイーツをお返しとしてプレゼントすることにした。
他の人たちには、メモした金額に応じてその内容に差はあれど、大体同じようなものにした。彼女へのお返しだけ、わざと大きく差異をつけたのだ。
そしてホワイトデー当日に、彼女へ、バレンタインの時に手紙をもらった礼、日ごろから頑張っている姿への奨励、頼りにしている旨などの言葉を綴った手紙も添えて、そのスイーツを渡した。
彼女は嬉しそうに「ありがとうございます!」と言ってお返しを受け取った。その表情からは、やはり僕に対してどのような気持ちをもっているのか読み取れなかった。
逆に、僕の方は完全に彼女を意識しはじめていると自覚した。
彼女の気持ちが知りたいな、とぼんやり思っていた。
こういう時、割とすぐに行動に出るのが僕らしいところなのだが、数日後、仕事の区切りがついたので「お疲れ様会をやる」という名目で彼女を食事に誘った。
上司からの誘いだから彼女が断ることはなかったが、2人きりで食事をして仕事の話をしてひとしきり盛り上がってから、ふと会話が途切れた時、目が合ってしまい、僕はドギマギしてしまった。
沈黙を破ろうと彼女の方が口を開いた。
「あの、先日は、ホワイトデーのお返し、ありがとうございました」
そして、そこからバレンタインデーとホワイトデーの話になって、自分がホワイトデーの意味がずっとよく分からなかったが、同僚から色々聞いて考えが変わったのと同時に、彼女からの手紙つきのチョコレートが嬉しくて、それで自分もホワイトデーには日ごろの思いも伝えるべく手紙を添えてお返しを渡したんだ、と話した。
すると彼女は少し伏し目がちになり、つぶやいた。
「先輩、ホワイトデーの意味って仰いましたが、ホワイトデーに何をお返しするかによっても、それぞれ意味があるって知ってましたか?」
「え?」
僕は突然の彼女のひと言に思わず聞き返してしまった。
それを、「そんなことは知らない」の「え?」だと思ったらしく、彼女は「もー!先輩ってホント鈍いんだから!人の気もしらないで、天然もたいがいにしてください」とむくれた。
この展開は、もしや・・・という直感が僕を射抜いた。
彼女がこういう反応を示したという事は、間違いない。僕が渡したホワイトデーのスイーツの意味を、彼女はどこかの情報源から仕入れたに違いない。
「先輩が私にくれたホワイトデーのお返し、あれ、私、本当に嬉しかったんです。なぜなら、それは本気で好きってメッセージが隠れてると思ったから。でも先輩はそんな事知らないであのお返しをチョイスしたというなら、もうこれ以上我慢できないから私から言います。私、先輩が好きなんです。尊敬しているし、一緒にいると安心できるし、先輩後輩ではなく、恋人になって欲しいとずっと思っていたんです」
彼女は一気にそうまくしたてた。
僕はそんな彼女を見て、一生懸命、勇気を振り絞ってこの言葉を必死に並べる彼女を思って、無性に愛おしいと思った。
今すぐ抱きしめたい衝動にかられて、僕は彼女を抱きよせた。
「知ってたよ」
そう耳元で囁いた。
「え?」
「ホワイトデーのお返しの意味、知ってて選んだんだ」
彼女が僕を見上げる。
「だから、つまり、そういう事です。なんか、順番が逆になっちゃってゴメンな。俺も好きなんだって気付いて、想いを伝えようと思ってた。付き合おう」
そう言うと「ひどーい!じゃ、知ってて黙ってたんですか?」と拗ねながら、彼女は再び僕に抱きついてきた。