恋愛・結婚SS

結婚~恋愛ショートストーリー


30代になってから、途端に家の中で肩身が狭くなった。

20代のうちは、実家から出勤した方が貯金できるし、なんだかんだ家事手伝いもして、家族に貢献してるもん、と口癖のように言っていたが、だんだんと、そんな言い訳がただの「甘え」以外の何ものにも聞こえなくなってきた。

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独身、実家暮らし、34歳。

30歳になる前に、やはり30の壁という事で、焦る気持ちだけはあったのだが、気持ちだけ焦ったところで、どうしようもなく、時間は無常にも等速直線運動のごとく過ぎ去っていった。

22歳、大学を卒業したての頃にできた彼とは、彼のあまりの遅刻に辟易し、別れた。

24歳、ずっと好きだった人と付き合い、婚約までした。

ここまでは良かったのだ。婚約したまでは。

ところが、好きだけで結婚できないのが世知辛いところで、現実的な相談をすればするほど、価値観や金銭感覚の大きな溝が露呈してきた。

それは、まるでクレバスのように、今までは恋だの愛だのが真っ白な雪のごとく積もっていたのに、ひとたび溶けだすと、パックリと口を開いて、私たちを飲み込もうとしていた。

この人と結婚したら、私は多分発狂する。

そう確認したのは、彼の貯金残高がとうとうゼロ円になった瞬間だった。

そして、式場もドレスも指輪も全て準備が整った段階で、婚約破棄した。

不幸中の幸いは、まだ招待状を出していなかったこと。

それから、私はまだ職場にひと言も報告していなかったこと。

この時、私は28歳になっていた。

その後、しかし、すぐに22歳の時に付き合った彼から連絡が来て、これ幸いと下鞘におさまってしまった。もともとは遅刻が問題で分かれただけで、そこについては口を酸っぱくして条件として遅刻しないように釘を刺した。そのため、遅刻は無くなった。

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しかし、22歳の頃は恋人として付き合い、恋人としてしか見てこなかった彼が、急に「結婚相手として相応しいかどうか」というフィルターをかけると、これまた気になるところばかりが目に付いた。

婚約解消した反動でしっかりした稼ぎのある人を、と思っていたのだが、その条件は満たしていたものの、金銭感覚が私と真逆だったのだ。「なんでそんなくだらないところでお金をほいほい出すの!」と思う事が多く、そもそもが貧乏性の私には理解が全くできなかった。

金銭感覚だけでなく、箱入り息子感丸出しのおめでたいところにも、次第にイライラするようになってきた。そして、結局、別れた。

この時、もう29歳。30歳を手前に、焦る。

両親もさすがに娘が結婚するといっては別れ、元彼と付き合うと言っては別れ、で心配したようで、30過ぎて急に口うるさくなってきた。

父の知人の息子を紹介してもらうことが多くなり、あまり気が進まずとも、とりあえず会ってみた。

しかし、これがまた、驚くほど会話がはずまない。

一度食事やお茶だけして、それっきりになった人が既に7人にものぼり、いい加減、これは私に問題があるんじゃないかと思うようになってきた。

そして親のプレッシャーをはねのける為にも、と始めた婚活。

婚活パーティーや、結婚相談所などを使ったが、これもどうも上手くいかず、仲良くなった人もいないでもなかったが、常に「本当にこれでいいの?」と聞いてくる心の声が厄介だった。

そうこうしているうちに34歳近くなり、ついに、私は、ハゲた。頭に巨大な円形脱毛症を患ってしまったのだ。

仕事のストレスなんかじゃない、絶対に、結婚のプレッシャーへのストレスだ、と確信していたため、それを親に伝えると、プレッシャーはパッタリと止んだ。

と、同時に、スイッチを消したように、私のやる気も消えた。

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そして半年間、まだ毛の生えない頭を隠しながら、無気力に生きていた。

実家にいるからいけないのよ、と友人は言った。

居づらいんでしょ?
ひとり暮らししたらいいよ。
一気に軽くなるから。

その友人は、彼氏こそいるものの、まだ独身で、結婚願望もないらしい。
実は20代の頃に一度結婚して、離婚している。

結婚自体が向いてなかったみたい、と彼女は言った。
元旦那には申し訳なかった、とも。

旦那さんの浮気が原因で離婚したのだが、彼女の方が「もう解放してあげようって、お互いを」と言う通り、一切もめず、慰謝料も、ご主人が「払わせてくれ」というのを断って、「超」円満に別れたのだ。

今はさすがに連絡はとらないけど、元気にやってるみたいよ~
とのんびり言う。

共通の友人がいるらしく、情報は入ってくるのだとか。

結局、彼女が奔放に生きたくて、仕事や趣味に全力投球するものだから、ご主人の方がついていけなくなってしまったらしい。

別れて、お互い自由になったなら、それで良いのかな、と私も思う。

人生は自分のものなんだから、誰かに振り回されるなんてまっぴら。
という彼女の意見には、私も同調する。

実は少し悩んでいて、このまま結婚しなければ、私は仕事をやめて、本当に自分がやりたい事だけやろうと思っているのだった。

今まで、なぜ実家に居座っていたか。
それは、いつか結婚する事を見据えて、早々にひとり暮らしに乗り出す事を躊躇していたからに過ぎない。

結婚して、子どもを生んで、老後も子どもに迷惑をかけないように暮らしていく、そのためにはお金がかかる。だから、今から将来のために溜めておかねば。という思考で、ひたすら貯金に勤しんだ。
そのためには実家というのは本当に都合が良かった。

それに、その時の衝動で家を出たところで、結婚する事になったら引越しや解約や、色々と面倒に違いないとも思い、いつか来るその日のために実家でくすぶっていたのだ。

しかしここにきて、どうもその「いつか来るその日」は必ずしもやって来るとは限らないという事に気付きはじめてしまった。

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だったら、養育費もいらないし、老後だって自分の世話を自分でできるくらい、自分の葬式代くらい自分で出せるくらい、貯めておけば十分ではないか。それなら、今まで貯めてきたこの貯金で、私にはやりたい事があった。

やりたい事、それは旅をしながら物を書く事。
トラベルライターに、私はなりたかった。
あるいは、海外で暮らしながら、何か自宅で物書きの仕事をするのも、良い。

いつか結婚するかもしれないから、という、ただそれだけの理由で、やりたくない仕事を続け、居心地の悪い実家に居候し、見事なハゲまで作って、みじめに生きていくのか。
いや、そんなのは、嫌だ。

でも、心のどこかに「結婚するかもしれないし」と思うものがあるという事は、きっと、私にも結婚願望たるものがあったからだろう。

私はこの僅かな結婚願望を振り切るべく、最後の賭けにでた。
もう一度、婚活することにしたのだ。
しかも、ものすごく我儘な条件をつけて。

本当に理想にかなった人でなければ一緒になる意味がない。
妥協するくらいならば、一生ひとりでいた方が良い。
結婚しなくったって幸せな人生は自分で切り開ける。

そう思う事にして、とにかく少しでも「あ、これは妥協だな」と思う条件は全てなくして、どんなに候補者が少なくなろうと、私は人生でこんなに我儘になったことはないくらい我儘を通した。

不思議なもので、どんなに「こんな人、いないだろう」と思っても、1人や2人はマッチする人がいるようで、私は1人の男性を紹介された。

38歳、4歳年上のその人は、なんと海外在住だった。しかも、ドバイ。

石油王か!?日本人なのか!?と興奮する私を尻目に、婚活アドバイザーは「駐在です」と冷静にコメントする。

駐在期間が長く、遠距離が長すぎて彼女に振られ、現地で結婚する気はなく、気付いたら38歳になってしまったというその人は、全く私の好みではなかった。

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まぁ、人間は顔でないのは分かる。生理的に受け付けないほどの見た目ではなかったので、たまたま日本に一時帰国している時に会ってみる事にした。

小柄で童顔だったその人は、40手前とは思えず、私よりも年下に見えた。
陽射しが強い国だからか、肌が焼けていて、食べ物も日本のものとは違うせいか、本当に日本人か一瞬疑ってしまった。

しかし、私が勝手にイメージする「よくいる海外帰りの痛々しい海外かぶれな日本人」とは全く違い、和食に美味そうに箸をつけるその姿には、鼻につくところなど一切なく、好感がもてた。

男性にしてはよく喋る人で、ドバイでの生活についてもペラペラと話してくれたが、私がとても興味をもったので、質問も沢山出てきたし、1つ聞くと、さらに2、3個疑問が湧いてくるような新しい情報が沢山出てきたので、非常に楽しかった。

そして何と言うか、気になるな、と思うところがなかったのだ。

数時間食事しただけで、彼の何が分かるという話ではあるのだが、しかし、直感的に「あ、この人好き」というのと「ん、この人あんまり得意じゃない」と感じる事はあるだろう。私にとって彼は前者だった。

なんとなく、なんとなくだけれど、同じ空気を共有しているような気分になった。

3週間ほど日本に滞在するというので、あと2回だけ食事を一緒にした。その時間も楽しくて、終電の時間を気にするのが煩わしいくらいだった。

私は節操もなく、自分の事をベラベラと喋ってしまっていた。今までの不遇の人生、やりたい事が他にある事、こんな結婚生活が送りたいのに現実にはなかなか上手くいかなくてね、といった具合に酔っ払いが絡むがごとく、喋った。

そんな話をするたびに、彼は少し考えるような顔つきになって「なるほど」と小さく呟いていた。そしてその後「じゃあ例えばさ」と、まだ見ぬ私の未来の旦那との結婚生活についてあれやこれやと提案してきた。

それが彼自身と重なりながらも、ほろ酔い気分の私は「それ、いいね、理想的!」とか「そんな生活夢みたいだよ」と言っていた。

3回目に会った時には、結婚を前提にお付き合いしてみませんか、と言われた。

これをすんなり受け入れてしまった自分も自分だが、それまでの会話の流れからして、予想ができていたからな、とも思いながら、「ぜひ、よろしくお願いします」と答えていた。

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そうと決まったら私の行動力はすさまじく、さっさと会社を辞めて、航空券を手配して、身辺整理もあっというまに片付けて、2ヵ月後にはドバイへ飛んだ。

離婚して自由に暮らしている友人には、笑われながら「あんなに張り合いがないみたいな、グズグズの生活してたのに、本当に、思い切りが良いよね、そういうところがあんたらしいんだけど」と見送られ、家族には最初こそ反対されたものの、日本人で商社の社員で駐在員で、と聞くとしぶしぶ首を縦にふった。

会社を辞める事には当然何の未練もなかったし、今の世の中は本当にありがたい事に、インターネットさえあれば仕事ができるので、自分が会社を辞めてひとり暮らししていこうか悩んでいる時に出会った良いビジネスパートナーに相談して、ネットでライティングスキルを生かせる仕事をもらえるようになった。

かくして私は、「海外で暮らしながら物書きとして働く」という夢を、人生のパートナーと同時に手に入れる事になったのだ。まったく、人生とは分からないもので、本当にこんな出会いがあるもんだなぁと、我が人生ながら舌を巻く。

ハンサムな王子さまではなかった彼も、一緒にいれば居心地が良く、疲れないし、一目惚れや情で関係を持つよりもよほど良いパートナーシップを築けている。程なくして「記念に」という事でドバイで籍を入れたのだが、もうあと1年ほど暮らしたら、今度は別の国に転勤になるらしい。

彼としては、そのような暮らしについて来てくれる女性を探していたらしく、しかしなかなか「いいよ」と二つ返事で受け入れてくれる人に巡り会えずにいたそうだ。

私は、そもそもそのような生活を望んでいたわけで、実は婚活アドバイザーたちからは「奇跡のマッチング」と言われていたらしい。日本で挙式するために打ち合わせがてら一時帰国した際に立ち寄って成婚報告をした時にそう言われた。

星の数ほどいれば、きっとこんな出会いもあるのか、と妙に納得してしまった。
運命という言葉はあまり好きではないけれど、これが「縁」というやつか、とふとした瞬間に、そう思ってはにやけてしまうのだ。

最近では夫婦揃って「縁だねぇ」が口ぐせになっている。

あらゆる出会い、身を置く場所、環境、人生、全ては「縁」なのかもしれないし、その「縁」を手繰り寄せるのは、もしかしたら行動力と念じる意思なのかもしれないな、と、そんな事を異国の地で思いながら、今日も私はパソコンのキーボードを叩き続ける。

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