旅行

バルセロナ、恋するスペイン建築―カタルーニャ音楽堂―


日が傾いて気温が下がり、いっそう心地よさを増した風を首筋に感じながら舗道を走った。

初夏のスペインは午後8時を回ってもまだ明るい。

夕暮れの西海岸、わたしはバルセロナ市内のライエタナ通りを、予約してあるコンサートの会場に向かって急いでいた。

このあたりはバルセロナで一番古い町並みが残るゴシック地区で、スペインを代表するモダニズム建築がずらりと並んでいる。

1ブロック進むたびにつぎつぎと現れる独創的なカーサに気を取られていたら、うっかりコンサートが開演する8時を過ぎてしまって、わたしはできるだけ小走りで劇場に向かっていた。

10分ぐらいの遅刻なら、まだきっとコンサートは始まったばかり。

大丈夫、たぶん会場には入れてもらえる。

豪奢な建物がどこまでも続く、1つの細長いミュージアムのようなライエタナ通り。

急いでいるわたしはわき目もふらずに走り抜け…たいけど、それはけっこう難しい。

礼拝堂や中世のゴシック宮殿跡に囲まれた「王の広場」が見えてきた。

コロンブスが女王陛下に跪いたという扇型の階段が、果汁のような夕陽を浴びてキラキラ輝いている。広場を抜けてカテドラルへ続く通りを見渡すと、カタルーニャ建築家協会ビルに描かれたピカソの壁画を見ようと、観光客のグループが集まっているのが見えた。

バルセロナの街は見どころが多いうえ、どれも日本では見られないようなものばかりで、劇場へ急いでいるはずの私も、つい立ち止まってカメラを向けたくなってしまう。

でも今は、走らなきゃ。

交差点を渡って路地を入ると、西日の中に、ひときわ派手な装飾をまとったコーラルピンクの建物が現れた。

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カタルーニャ音楽堂。

今日のコンサートの会場でもあるこのゴージャスな劇場は、サグラダ・ファミリアとともにバルセロナを代表するスペイン・モダニズム建築だ。

ユネスコの世界遺産にも登録されていて、「世界一美しい劇場」とも呼ばれている。
政治家でもあった建築家のモンタネールは日本ではあまり名前を知られていないけれど、当時のスペインではガウディよりも有名人だったそうだ。

この音楽堂は豪華な内装が旅行雑誌でもよく取り上げられているので、内部の写真は何度か見たことがあった。

けれど、今こうして向き合っている外観も、とても印象的で美しい。

その姿をたとえるなら、ママの部屋に忍び込み、クローゼットやドレッサーから見つけだしたドレスや宝石で、見よう見まねのおめかしをしてみた少女のよう。

ドレープたっぷりのドレスに、髪に挿した真っ白なバラの花、パステルカラーのアクセサリー。

めいっぱい着飾って得意になった少女のような劇場が、遅刻したわたしを「Hola!」と笑顔で迎えてくれた。

こうやって名建築をじっくり眺められるだけでも素晴らしい体験だけど、今夜はさらに、大ホールで行われるピアノコンサートの席を取ることができた。

カタルーニャ音楽堂ではオペラやクラシック、フラメンコなどのコンサートが一年中開かれていて、すべて公式のホームページから予約できる。

エントランスを入ると、黒いベストに真っ赤な蝶タイをした女性スタッフがにこやかにホールまで案内してくれた。

よかった、15分の遅刻はおとがめなしみたい。

深いグリーンの絨毯が敷かれた大階段を昇る途中は、ガラスの手すりやモザイクで飾られた天井がとても綺麗で、ここでも目を奪われる。

踊り場には一組の古びたチェアとテーブル。

カフェテーブルの上には一輪挿しの赤いバラが小首をかしげていて、気の利いた空間になっている。

こんなロマンチックなところで、恋人と音楽会の待ち合わせができたらなんて素敵だろう。

案内してくれた女性スタッフが大ホールの扉を開けると、目の前にモーブピンクの花園が広がった。

劇場の天井には無数のバラの彫刻が咲き乱れ、中心にしずく型をしたシャンデリアが、したたり落ちる寸前の形で輝いている。

匂いたつような彫刻のバラ園、その真ん中で、スペイン人のピアニストがリストの「ラ・カンパネラ」を弾いていた。

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難曲をドラマチックに歌い上げる 彼の演奏は申し分なく感動的。なのにじっとしてピアノに耳を傾けていられないのは、ほかの聴衆もわたしと同じだった。

ひとつひとつ花びらの重なり方が違う天井のバラを数えてみたり、バルコニーのステンドグラスの光に目移りしてはまた天井を見上げたり、みんなキョロキョロと落ち着きなくホールのデコレーションを見回している。

脚の長い紅顔のピアニストは、リストのロマンチックなナンバーを次々と演奏して、劇場のムードを高めていった。

情熱的なメロディーがホールの空気をしっとりと湿らせて、聴衆は花園に飲み込まれるように聴き入っている。

アンコール!

嵐のような拍手が収まるのを合図に、ピアニストが弾き始めた最後の曲は、同じくリストの「愛の夢」。

戸惑い、募る思いに身をよじるような最初のE音がホールの天井に昇っていく。

水のしずくの形をした金色のシャンデリアに音符が吸い込まれるたびに、まるでしずくが大きくなり、いまにも客席に温かい雨を降らせるような気がしてくる。

おっと…。前に座っているカップルが唇をつけあって盛り上がり始めた。

スペイン人にはこれくらい当たり前なんだろうけど、日本人のわたしには、公衆の前でのソレはちょっと刺激が強くて目のやり場に困ってしまう。

だけど盛り上がっちゃう気持ちはすごくよく解る。

愛する人が今ここに居たら、わたしだって今すぐ全力で愛したいと思うだろう。

ピンク色のバラの群生が、シャンデリアから溢れた金色の洪水が、狂おしい感情を夏の嵐のように呼び起こす。

この劇場はそんな場所なのだ。

ああ、わたしもきっとまた恋をしよう。

残念ながら今のところ相手はいないけど、日本に帰ったら、友達に紹介を頼むところから、もう一度ちゃんとやってみようと思った。

どうしようもなく誰かをいとおしいと思う時の、こんな雷雨のような高揚を、きっとまたわたしは恋する人と分かち合いたい。

●INFORMATION●
カタルーニャ音楽堂(Palau de la Musica Catalana)
Palau de Musica 4-6 Barcelona
地下鉄1または4号線Urquinaona駅から徒歩3分。
演奏会を鑑賞する以外に、1時間のガイドツアーでも内部を見学できる。
(ガイドは英語・スペイン語のみ)
http://www.palaumusica.cat/en

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